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トップページ コラム 【絵本の中の生きものたち】 孤独と連帯(1)『みどりのあらし』(2021)岩崎書店

孤独と連帯(1)『みどりのあらし』(2021)岩崎書店
高山なおみ:作、中野真典:絵

生きものの活躍する絵本を紹介する連載、今回からは「孤独と連帯」という主題で3冊を取り上げます。孤独と連帯って、反義語でしょうか。何だかそうとも言い切れない、そんな感じのモヤモヤを巡る3冊です。

「いやだな いきたくないな ゆうすけくんが まちぶせしてる
でも ぼくは わたった
ゆめだもん こわくないぞ」

1冊目は『みどりのあらし』。「こんな子きらいかな?」というシリーズの1つだそうです。「ぼく」はどうやら、「ゆうすけくん」にいつも意地悪されているらしい。下校しようとすると、また「ばあちゃんにかってもらった うんどうぐつ」が片方なくなっている。仕方なく靴を片方だけ履いて帰ると、緑色の嵐が吹き荒れています。夢なのか、想像なのか、現実なのか。絵本の言葉はすべて「ぼく」の内的独白です。「意識の流れ」の系譜とでも言うべきか。難しい解釈はさておいて、学校で友だちに意地悪をされてひとりぼっちで帰る男の子の心を、想像してみてください。少し長い引用になりますが、緑の嵐の中を歩くぼくの心のうちの言葉です。

「とんでくる
だんごむし かめむし
おにやんま ぎんやんま
からすあげは かみなりちょう
じゃこうあげは かなぶん つまぐろひょうもん
べにしじみ るりしじみ ほたるが くまぜみ
にいにいぜみ ぺっちんむし
かたつむり こがねむし げんじぼたる べにぼたる
あきあかね なつあかね うんもんすずめが
ひげながはなばち はなむぐり みずすまし
かぶとがに げんごろう とのさまがえる
みんな ぼくのともだち」

知っている生きものの名前を思い出せる限り呪文のように羅列していくと、ひとりぼっちであることから、その一時は逃れられるような気がします。並べ挙げたひとつひとつの虫たちの名前を「みんな ぼくのともだち」と言葉にしてみなければ、他の人には見えない緑の嵐にのみこまれて自分が消えてしまいそうになるから。

子ども時代の孤独は、大人ならば知識や経験を動員して具体的に対処できる苦境とは違って、ひたすらにのっぺらぼうの化け物のようで、終わりも始まりも、その意味も見えません。ひとりぼっちであることを忘れるために、見分けられる虫の名前を懸命に並べてみるような孤独を、子どもだった私もたしかに知っています。しゃがみ込んだ地面に咲いていた花によじ登っていくアリの動きを、ただ凝視して涙をこらえていたような――。そんな時代があったことを、すっかり忘れていましたが。

孤独のうちに身体にため込んだ嵐は、口から吐き出すと無定形な力の塊になりました。自分の代わりに身体を張って上級生と戦ってくれた「ゆうすけくん」を助けるために、「ぼく」がおなかの底から振り絞った緑の嵐。「ぼく」と「ゆうすけくん」は友だちになれたのでしょうか。「ゆうすけくん ぼくのともだち みんなあげる」とまで言えた勇気は、どこから生まれたのでしょう。そして、緑の嵐とはなんだったのか。二人の口からあふれる嵐の中にたくさんの虫がいる表紙絵に、何かのヒントがありそうです。読む人によって、いくつもの違った答えが見つかるかもしれません。

私はこの物語を読んで、坂口安吾の『文学のふるさと』という小文を思い出しました。緑の嵐という存在は、どうやら坂口安吾が「ふるさと」と名付けた人間の「絶対の孤独」というようなものと深く関わっているような気がして、子どものためにこのような絵本があってよかったなあ、と思ったのです。

というわけで、青空文庫でどうぞ。私がうまく説明できなかったことを、安吾は上手に説明していると思います。

坂口安吾『文学のふるさと』(1941)青空文庫