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トップページ コラム 【abt徒然草】 #8「瞬間戦とデトックス」

アクト・ビヨンド・トラスト(abt)のメンバーが、日々感じたことを徒然に綴る「abt徒然草」、第8回目は、代表理事の星川 淳です。

1952年生まれだから、幼少年期は米ソ冷戦の真っ盛りだった。Cold Warとはいえ、1962年のキューバ危機のようにHotになる寸前の事態は、表に出なかったものも含めて無数にあっただろう。

東京で過ごした小中高時代、多感な子どもなりにニュースや少年雑誌などで触れた情報から、頭上をジェット機の轟音がつんざくと、日本の首都を襲うソ連の核ミサイルだと思い込み、次の瞬間、融けて死ぬと覚悟した。実際ICBMに直撃されたら、音が聞こえる前に死んでいるだろうが、そこまでは考えが及ばず、刹那のパニックと死の覚悟を日常的に繰り返していた。

ちょうど高校生の頃、世界的に社会と文化の大変革期が訪れ、反核運動(焦点は核兵器だった)もピークを迎える。その前に、日本ではビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸の乗組員が被ばくした事件(1954年)をきっかけに、原水爆禁止運動が盛り上がったが、私自身はまだ乳児だから、やはり物心ついて最初に強く意識した反核運動は60~70年代のものだ(その後、1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけとした脱原発運動は自ら関わるライフワークになった)。若者たちが主役だった当時の社会変革は、学園闘争や反核運動から有機農業、ロック、フリーセックスまで、とにかく近現代の価値観と物質文明を根底から疑い、その替わりになるもの(オルタナティブ)を探るという点で共通していた。

いま振り返ると、核戦争の脅威と恐怖にさらされながら育った私のような人間が、東西ブロックの両側に大勢いたのだろう。実戦ではないものの、心身に多大なストレスを強いる核ミサイル脳内アラートの“瞬間戦”を日々生き延びた経験が、「こんな世界はおかしい」「もっとまともな生き方があるはずだ」という探究に駆り立てた。人類社会はもちろん、全生命を絶滅の危機に追い込む核戦争との持続的直面から、地球規模でものごとを考え、国境を超えて人類全体や自然生態系をわが身とする感性が培われた。アポロ宇宙船から送られてきた地球の写真は、その自画像だった。

東西冷戦がもたらしたのは精神的な影響にとどまらない。1963年に禁止されるまで5つの核保有国が競って行なった大気圏内核実験だけでも500回を超え、広島型原爆3万発近くに相当する。当然、それだけの放射能汚染が広がった。ひと昔前、がんはそんなに一般的な病気ではなかったが、いまでは2人に1人が罹り、3人に1人の死因だという。国立がん研究センターによれば、2015年の国内がん死亡数は1985年の約2倍で、増加の主因は高齢化だと説明されるが、全世界で核開発前との差は5倍では済まないのではないか。地球全体に拡散した放射能の影響は、核兵器を維持したい大国の思惑により伏せられ続けている。

私自身も、核実験の放射能をたっぷり浴びた世代であり、20歳前後には原因不明の疲れやすさに悩まされた。幸い、インドで学んだ瞑想法に組み込まれていた一種の運動療法と、20代いっぱい励行した玄米菜食のおかげか、放射能とその他の化学物質とを問わず、かなりデトックスできたらしい。いずれも健康上の毒抜きが目的ではなく、自分なりに納得のいく生き方を探る中での出会いだった。

東京電力福島第一原発の多重過酷事故から8年目に入り、日本はいくつもの大きな課題に向き合っている。1つはもちろん、いまだに収束できない事故への対処と廃炉の問題。2つめは原発そのものへの依存からどう抜け出すか。そして3つめは、事故によって環境中に放出され、いまも放出が続く膨大な放射性物質の影響から、どう人びとを守るかだ。とくに子どもたちの未来を守りたい。

abtが助成を通じてそれらの課題に取り組むのは、時代の要請であるとともに、私自身の個人史も後押ししている。

▼参考
A・V・ヤブロコフ他著/星川監訳『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』(岩波書店)
写真は「Earthrise Revisited」
出典: NASA