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トップページ コラム 新連載「NGOの文章術」第3回

読み手の海へ漕ぎ出す
一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト代表理事 星川 淳
(連載開始にあたっての前置きは第1回をどうぞ

第2回で技術的な詳細の入り口を覗いたので、今回は筆者が大切にする心構え的な導入です。

一番の大前提として、文章の書き手はつねに内容が読み手へ伝わるかどうかを意識し、可能な限り読み手の理解を助ける記述を心がけたいものです。仕事の同僚や仲間内なら通じる表現でも、そのまま業務のカウンターパートや一般の読み手に向けると頭をひねらせ、失礼になりかねない場合があります。一人ひとりの校閲能力にはバラつきも限界もありますから、客観的な視点で対外コミュニケーションをチェックできる人がいないと、自分本位で未熟な組織とみなされてしまいます。

平易さと理解度の関係

上記からまず導かれるのは、なるべく小難しい熟語、術語、言い回しを避け、わかりやすい文章表現に努めることです。NGOが役人的な上から目線の表現に頼っては元も子もありません。自分でも意識せず、権威づけのつもりで小難しい言い回しを用いたがる人がいますが、恥ずかしいだけ。なるべく平易な言い換えを工夫することによって、自分自身の理解も深まりますし、逆に書こうとする内容の理解が進むほど平易な表現が可能になるとも言えます。

同じ理由で、カタカナ英語の乱用にも注意が必要です。これは戦後日本人の根強い悪癖で、自分で立ち上げた市民活動助成基金にアクト・ビヨンド・トラストなどという意味不明の英語名をつけている筆者こそ「おまゆう」のそしりを免れないのはともかく(訳アリ…)、時代によって微妙な変遷がある点に触れながら説明します。

敗戦と占領に伴い、猛然と流れ込んだ米国文化をもろにかぶった1980年代くらいまでは、単純にカタカナ英語を散りばめることがカッコいいと思われていて、これは成長期の子どものように無理もない面があります。この時代、とくに若者に関しては音楽も洋モノに憧れたものです。しかし、Jポップスが主流になったあたりで戦後も一段落し、カタカナ英語の威力も弱まったかに見えました。ところが、そのころからこんどは英語を訳さずにそのままカタカナやアルファベットで表わす風潮が強まり、現在に至ります(歌や映画のタイトルに顕著)。

英語をそのまま使うのは、旅行や留学のほか、国内でも外国人との接点が増えたことで身に着いてきたのかと思いきや、そればかりではなさそうで、英語圏では耳慣れない、日本独特の英語っぽいカタカナ語が流布している様子もうかがえます(一種のピジン化?)。結局、いまなおカタカナ語がカッコいいとか、高級そうとかの感覚があるのかもしれません。いずれにせよ、実際に使いこなせるわけでもない英語を必要以上に多用するのはやめて、平易な日本語で言い換えることを勧めます。その努力を重ねると、表現したい事象への理解力が深まるでしょう。本当に外国語を身に着けている人は、話でも文章でもそれをひけらかしたりしないものです。

脳とAI

文章の書き方には、大きく分けて2つの流儀があります。あらかじめ相当程度まで構成や内容を固めておく方法と、あまり細かく決めずに書き始めて、あとはなりゆきに任せる方法です。それぞれ一長一短があり、またその人の性質にもよるでしょうが、筆者は主になりゆき派。「主に」がつくのは、準備をしないわけでないからです。必要な下調べや取材をし、大まかな構想はイメージした上で、いざ書くときは考えすぎずに、とにかく舟を漕ぎ出してしまいます。

最近、素人なりにChatGPTなど生成AIの話題を追っていると、言語は元々、脳の生成AI的な働きに支えられて成り立つように思います(AIが脳をモデルにしているから当たり前なのか…)。つまり、大量のデータ学習に基づき、特定のプロンプト(指示)に従って、文脈依存でメモリーから最適の次節を掘り起こしながらテキストを紡ぐ生成AIと、上記なりゆき派の作文とはよく似ている気がするのです。話したり文章を綴ったりするとき、私たちは無意識かつ瞬時のうちに、過去に読んだり聞いたりした言葉をスピード検索しつつ、伝えようとすることを軸に、好きなつなぎ方で切り貼りしていきます。おそらく、蓄積されたデータ量ではAIにかなわないけれども、全体のなめらかな作動は(まだ?)脳のほうがはるかに上を行くのではないでしょうか。

発酵

別の角度から欠かせないのが「発酵」です。アイデアなり、まとまった考え方なりが、いきなり形を取ることは珍しく、たいていは繰り返し浮かんでは(長い間隔がある場合も)、それを咀嚼しているうちに、いつしか自分の言葉で語れる姿を現わします。急げば発酵プロセスを促進できるのかもしれませんが、筆者の経験では農作業のような単純労働の徒然(つれづれ)に、数か月か数年かかって言葉になることも少なくありません。これを「植物のように考える」と呼んでみたり、自家製味噌の発酵になぞらえたりして、書き手の道具箱に入れてあります。

筆者にとって、農作業と並んで日課のジョギングも発酵に役立つようです。身体の動きと脳の活性化は無関係ではないのでしょう。言葉とは違いますが、複数の専門家に聞いても納得のいく説明が得られなかった会計上の難問を、1年半ほどかけてジョギング中の“脳内ブレスト”で解いたのは、自分でも驚きでした。鍵は、重要なテーマだと思ったら諦めずに反芻し続けること。言葉の道具箱に多様な表現を拾い集めるだけでなく、発酵度や咀嚼度の異なるマイテーマをいろいろ仕込んでおくことも、文章術の備えです。

次回はいよいよ、漢字かひらがなかの大問題など……

第4回「アルゴリズム支配に縛られない」はこちらから