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トップページ コラム 新連載「NGOの文章術」第7回

中空の竹
一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト代表理事 星川 淳
(連載開始にあたっての前置きは第1回をどうぞ

 

心得と技法を交互に取り上げる構成で、再び心得の回です。認定NPO高木仁三郎市民科学基金で長年、事務局長を務めてこられた菅波完(すげなみ・たもつ)さんから、本連載への感想コメントで「文章力をレベルアップするための心構えや具体的な工夫など」を取り上げてほしいとの要望をいただきました。同NPOは、市民活動の助成という分野においてabtの大先輩にあたります。

「心得」と「心構え」では若干ニュアンスが異なりますが、第3回ではつねに読み手を意識すること、第5回では過剰に卑下も増長もせずにフラットな気持ちで書き、書いた文章を自己点検することに焦点を当てました。

心構えといっても、文章の基本要素とされる5W1H(When+Where+Who+What+Why+How)を必ず押さえたり、論説的な文書なら冒頭に要約(サマリー)的な概説を置いたりする初歩の初歩は、あえて蒸し返しません。多くの場合、それらは有効な指針である一方、よほどかしこまったテキストでない限り、NGOのコミュニケーション現場では絶対厳守というわけでもないからです。基本に忠実であることより大切なのは、読み手の心に届くかどうかでしょう。

心のスキマ

コロナ禍をきっかけにオンラインの会合が増え、初対面や久しぶりの顔ぶれが本題に入る前に設ける「チェックイン」の時間もお馴染みになってきました。互いにどこのだれかはわかっているという前提で、各自の近況から場を和ませたり、耳より情報を共有したり、自分の素顔を知ってもらったりする話題を出し合うのです。ふだん一緒に仕事をしているスタッフでも意外な面に触れることができ、筆者はチェックインが好きですし、自分の番が回ってきたら、なるべく会合の本題とは離れた、気分のほぐれるショート余談をするよう心がけています。

ところが、このチェックインでも仕事の話しかしない人がいます。生真面目なのか不器用なのか、人それぞれの性格は尊重しますが、せっかくの機会を活かしきれないのは惜しい気がしてしまいます。こういう人の書く文章は、律儀で基本に忠実でも、読み手の心に届きにくいかもしれません。

いくら仕事一筋の人でも、趣味や体調管理の話、家族や友人たちとのエピソード、ニュースに触れて考えたこと、いま読んでいる本のネタなど、ちょっと触れるだけで、その場のみんなにとって世界が1ミリなりとも広がる話題は思いつくはずです。背景になるのは、いつも抱いている関心の幅であり、生き方の豊かさです。

文章も同じで、伝えたいこと、訴えたいことを切々と書き連ねるだけでは、最初からそのことに関心のある人しか心を開いてくれません。お笑いの“つかみ”ほど狙いすます必要はないにせよ(あざとさを感じさせては逆効果)、読み手の心にスキマが生まれるような話の振り方、意外な言い回しなど、工夫の余地は無限です。そこへ、一番大切なメッセージを届けてください。

最強の武器の一つはユーモアです。寄付を求めるにしろ、プレスリリースを出すにしろ、相手は人間ですから、実直な文章の中で出会う「ふふっ」という心のほぐれは、息抜きになると同時に、こちらの伝えたいことが届く窓を開いてくれます。

かといって、脱線やオヤジギャグの乱発を奨励しているわけではありません。スキマづくりもユーモアも、隠し味程度を良しとします。映画のセットのように表面的な主張だけでは素通りされがちなのに対し、幅や奥行きのある文章なら、いろいろな接点が生まれ、“お店”へ寄ってもらいやすいのではないでしょうか。

結論を預ける

心がけという点で筆者もまだ開発途上なのが、「結論を押しつけないこと」です。特定の事象について理解や追究を深めるほど、理路を尽くして「こうだ!」と言い切りたいのが人情というもの。とりわけNGO/NPOは、世間一般の通念とは異なる独自の見解や主張を打ち出す自負があり、声高に結論を掲げがちです。

しかし読み手の心情は別で、「こうだ!」と決めつけられれば逆に反発したり、結論を鵜呑みにして思考停止に陥ったりするのも人間の性(さが)。自尊心・自立心の強い人ほど自分で考え、自分で結論を出そうとしますし、互いにそれを支え合うのが民主的な社会だと思います。

だとしたら、最後の最後まで説明して「こうだ!」と言い切りたいところを少し控え、読み手自身が結論を出すスペースを残しておくのが本当に良い文章かもしれません。「いやいや、それでは市民社会の役割である異議申し立てもできないじゃないか」と反論されそうですが、結論を押しつけないほうが説得力が増し、読み手自身の自発的な思考力・行動力を引き出す可能性は、検討に値するはずです。強い断定は、すでにその結論に同意している人たちの留飲を下げる効果はあっても、それ以上の広がりを生み出しにくく、とくに若い世代の心にはなかなか届かない気がします。

言い切るかわりの表現としては、1)結論を示唆するにとどめる、2)判断の材料を示して、最後は問いかけで結ぶ、3)理解の探究へ誘う、4)あるいは何らかの具体的な協働を呼びかける――といった方法が考えられるでしょう(別掲文例を参照)。1はちょっとズルいですが、ギリギリの寸止めです。上述のとおり筆者自身も試行錯誤中なので、みなさんも工夫してみてください。(と書きつつ、こればっかりでは欲求不満になりかねないから、はっきり言うべきときはガツンとぶちかまそう!)

竹笛の教え

そして、今回の締めは自力に頼りすぎないことです。現在の筆者は、強(し)いて分類するなら無神論に近いアニミスト(万物に自然のインテリジェンスを感得する)ですが、20代に弟子入りしたインド人の師匠から「中空の竹」になることを教えられました。自分という器を自力であれこれ満たそうとせず、空っぽになったほうが、存在の風が吹き込んで、おのずとふさわしい音曲が奏でられるだろう、と。筆者の書き手としてのキャリアは、この師匠の英語による講話を日本語に訳すことから始まったので、以来半世紀、翻訳についても訳者が過剰にこねくり回さない「限りなく直訳に近い名訳」を心がけてきました。

それは書くという行為そのものにも当てはまります。材料は用意したのに何を書いていいかわからない、書き方が決まらないというようなとき、あまり焦りすぎずに、いったん力を抜いて「中空の竹」になると、無理なく書き出せることがあります(超能力者ではないので、いつもうまくいくとは限りませんが)。インスピレーションの語源は、宇宙の息が吹き込まれること(inspire)です。

以上は特段アヤシイ話ではなく、現在進行形の生物進化という奇跡を生きている私たちの日常は、小さな気づきが変化をもたらすきっかけになりうるので、食後に歯を磨くのと同じくらい気軽に、行き詰まったら焦ったり悩んだりするより、ひとまず頭を空っぽにしてみることをお勧めします。 

 

 
 
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