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トップページ 助成先レポート 【琉球大学 理学部(理工学研究科) 生物系 大瀧研究室】福島原発事故後のチョウ研究から見えてきた「フィールド効果」

abtがこれまで助成を行なってきた活動の現在を伺う企画の第2回は、2013年度から2017年度まで「エネルギーシフト」分野の助成先として併走した、琉球大学理学部海洋自然科学科生物系大瀧研究室です。2011年の福島第一原発事故によって被曝した土地で、環境や生物にどんな影響が起きているのか――一刻も早く現地の生物を調査することが必要であると、はるか離れた沖縄の地から福島へと向かいました。資金も乏しく、傷跡の生々しい被災地で「チョウへの放射線影響」を調べることへのためらいもありました。

地道な調査研究を継続した結果、単に実験室で生物に放射線を照射するだけではわからない、被曝した土地の環境下に定住するヤマトシジミが食物の摂取や世代の更新など生命活動の総体を通じて受ける放射線影響について、多くの知見を得ることができました。研究の成果は海外の査読誌にも掲載され、科学者コミュニティで共有されています。

手探りで始まった大瀧研究室の「フクシマプロジェクト」のこれまでとこれからについて、大瀧丈二さん(教授、分子生理学Ph.D.)と、プロジェクト開始時からの共同研究者である平良渉さん、アーティストとしての関心から出発し研究室に加わったKoさんにお話を伺いました。

琉球大学 理学部(理工学研究科) 生物系 大瀧研究室
分子生理学の視点から「チョウの色模様形成」「蛋白質の配列暗号解読」「嗅神経細胞の遺伝子発現」などのプロジェクトに取り組む。既成の分野にとらわれず、これまでにほとんど着目されていない面白い現象の研究や革命性を持つ萌芽的研究を推奨する。研究室のサイトでは、研究成果を公開するほか、フクシマプロジェクトに寄せられた疑問について平易に解説する「おしえてヤマミン」というページも(右がヤマミン。ヤマトシジミのキャラクター)。フクシマプロジェクト10周年目の日々をKoさんが綴った「FUKUSHIMA PROJECT」には美しい作品が並ぶ。これまでの助成企画(報告書)
2013年「放射能汚染地域のチョウにおける遺伝子損傷部位を特定するためのゲノム解読
2014年「放射能汚染地域のチョウにおけるゲノムレベルの遺伝子変異解析/チョウを用いた放射能汚染地域における外部被曝の影響の評価
2015年「再稼働原発周辺のチョウの生物学的調査
2016年「帰還区域におけるチョウの生物学的調査
2017年「福島原発事故後のヤマトシジミの遺伝子配列比較解析

 

「フクシマプロジェクト」が始まったきっかけ

abt:2011年の福島第一原発事故後、大瀧研究室では福島でのチョウへの放射線影響を調べる「フクシマプロジェクト」が始まりました。abtでは、2013年度から17年度まで5年間の助成を行なっています。

大瀧:当時は研究に対するバッシングのほうが強くて、助成金や寄付を得るのが非常に難しい状況でした。そんななかで、abtの助成を受けられることが決まって非常に喜んだのを覚えています。

abt:助成を始めるきっかけとなったのは、大学院生として大瀧研究室にいらした野原千代さんからのご連絡でしたよね。「フクシマプロジェクト」を始めるにあたっては、野原さんの思いもとても強かったと伺っています。

野原さんの実験ノート(2011年11月)。

大瀧:福島での原発事故が起きてすぐ、野原さんが「日本がこういう状況にあるときに見ているわけにはいかない」と研究室のミーティングで提案されたのです。私も賛同して、みんなで「やる方向で考えましょう」と話し合いました。でも、我々がやれることといえば、以前から研究していたチョウのヤマトシジミしかない。そのなかで、できる範囲でやってみようと最初は手探り状態から始まりました。

abt:野原さんは、どういうきっかけで大瀧研究室に入られた方なのですか?

大瀧:もともと野原さんは愛知大学で会計学の准教授をされていました。世の中に貢献する研究がしたいという気持ちをずっと持っていらしたようで、私のところにコンタクトがありました。メールなどでやりとりをしていたのですが、ある日、研究室に行くと野原さんがいたんです。急に来られたので「ええっ!」という感じで(笑)。それで入学試験を受けて、修士課程に正式に入学されました。2009年のことだったと思います。

abt:その後、残念ながら2014年10月に亡くなられたのですよね。

大瀧:そうなんです。急に現れて、急にいなくなってしまった。体調を壊されてからも現地に頻繁に通って調査をしたり、研究以外の活動もされたりと、福島とのつながりをとても大切にしている方でした。本当に残念です。

研究初期の頃、放射能汚染されたカタバミを、汚染とは関係ない沖縄のヤマトシジミの幼虫に食べさせて内部被曝の影響をみるという実験をやりました。その結果、汚染物質を食べたヤマトシジミは大きな影響を受け、かなりの数が死ぬということがわかったのです。研究の鍵となる非常に重要な実験でした。この実験ができたのも、野原さんが各地からヤマトシジミを集めてくれたおかげだと言っても過言ではありません。

環境指標生物としてのヤマトシジミ

abt:「フクシマプロジェクト」が動きだしたのは、原発事故直後からですか?

大瀧:原発事故から2カ月が経った2011年5月に、福島県内を含む10地域でヤマトシジミの採集を行ない、形態異常の有無を調べました。研究室内でも福島にはまだ行かないほうがいいという意見がありましたし、現地の状況もわかりませんでした。現地の人たちが大変な思いをしているところにチョウを採集しに行くのはどうなのかという意見もあり、いろいろな葛藤がありました。そのなかでも「いま行くべきだ」という野原さんの姿勢はぶれなかったですね。

左:採集風景。調査は3-4人グループで行う。/右:採集個体は、プラスチック容器に入れ、保冷暗下で生きたまま沖縄に持ち帰る。研究室で形態異常を調べた後、飼育実験(採卵)に供される。

Ko:私自身は14年度から研究室に参加したのですが、いま被曝第一世代の標本をもっている研究者は多くありません。事故後にいち早く現地に入り、第一世代のヤマトシジミを採集していたことの貴重さを実感しています。

abt:環境指標生物としてヤマトシジミを選んだ理由をあらためて教えてください。

大瀧:ひとつには、もともと研究室でヤマトシジミの研究をしていたのでデータがあったことが大きいです。ヤマトシジミは環境指標生物としてよく使われている生物ですが、とくに今回の調査に向いている点としては、地面の近くで生活することと、採集しやすいことがあります。ヤマトシジミは、幼虫のときにはカタバミという植物だけしか食べず、成虫になり飛べるようになっても一生のうちで20~10メートル程度しか移動しない特徴がある。周辺環境からの影響が見やすいのです。

平良:補足しますと、ヤマトシジミの分布はとても広いので、日本中どこでも同じように調査ができるのが利点です。また、人の環境にすごく近いところに住んでいます。先ほど先生がおっしゃっていたように、環境指標生物としては遺伝子組み換え作物の影響などの研究にも使われています。あとは、自分たちで育てて実験できることも大きいですね。実験室内で育てて被曝をさせて影響を調べるなど、野外で起きたことのメカニズムを実験的に検証することができます。適度な大きさで、観察しやすいということもあります。

abt:採集はどのように行なうのですか?

平良:普通の虫取り網で捕ります。100均で買えるような網の持ち手部分を短く切って使っています。ヤマトシジミは一般のチョウよりも簡単に捕まえられて、生きたまま研究室に持ち帰ることができるんです。

初期被曝と慢性被曝による影響

abt:放射線によるヤマトシジミへの影響について、これまでの研究でわかってきたことを簡単に教えてもらえますか。

大瀧:影響には、初期被曝の影響とその後の慢性的な被曝の影響という2つが考えられます。まだ完璧に証拠を揃えているわけではないのですが、初期被曝はヤマトシジミにDNAレベルの損傷という形で影響を与えた可能性があります。放射線の影響を受けると突然変異体になって形態異常のチョウが生まれたり、かなりの個体数が減ったりするということは間違いなく、これまでの研究から証拠も得ています。

しかし、DNAのどこが傷ついているのか、DNA変異が数値的にどのくらい上がっているのかなどの証明や、こういう条件で被爆をさせるとこうなる、といったシミュレーションはこれからの段階です。

2013年9月に福島県本宮市で採集された形態異常個体(オス)。左右の翅の大きさが異なる。

Ko:2016年9月に、居住制限区域・避難指示解除準備区域となっている場所およびその周辺区域(当時)の21地点でヤマトシジミを採集しました。異常率0%の地点もあり、「平均異常率」にすれば平常レベルまで回復していたのですが、5~10%の地点も多く、最大の地点では20%でした。ヤマトシジミの全国的な形態異常率は4%以下です。

こうした異常率は2016年時点での地面線量との相関は見られなかったのですが、5.5年前の線量とは相関が見られました。ヤマトシジミは一世代が約1ヶ月で、年5化で数えると、29世代前にあたる祖先が2011年に受けた初期被曝の線量に関連していることがわかります。生存には関与しない形ではありますが、遺伝子の傷が引き継がれているのが2016年の状態だという結論になっています。

abt:慢性被曝の影響についてはどうでしょうか。

大瀧:最近の私たちの研究によると、セシウムによる低線量被曝が長引く状態によって直接的にヤマトシジミが死ぬということはないようです。しかし、被曝によって幼虫の餌となるカタバミに何らかの変化が起こり、それがヤマトシジミに間接的な影響を与えて死ぬというストーリーがあると考えています。カタバミのように食べ物などを介した間接的な影響を「フィールド効果」と私たちは呼んでいますが、フィールド効果の証拠を揃えるための検証を続けているところです。

生態系という視点から放射能影響を考える

abt:ヤマトシジミの研究から、ほかの生物について考えられることはあるでしょうか。

大瀧:先ほどもお話ししたように、ヤマトシジミへの影響は「フィールド効果」による可能性があると、我々は結論づけています。幼虫の餌となるカタバミが何かしら放射線ストレスを受けると、いわゆる二次代謝産物というものを増やしたり、あるいは減らしたりという変化が起きます。植物自体がストレスに対応しようとして、ちょっと頑張るということですね。その影響が、それを食べるヤマトシジミに出てしまう。

つまり、野外で放射能汚染が起こった場合には、単純に直接な被曝影響だけではなくて、いろいろな生物間の相互作用があって最終的に影響が起こってくる可能性があるということです。低線量の放射線だけでは大きな影響を与えないのだとしても、農薬や天敵など他のストレスとの相乗効果で非常に大きな悪影響を与えることが考えられます。

abt:そういう意味では、ヒトへの影響についてはどうなのでしょうか。

大瀧:ヒトへの影響を考えるときにも、ヒトだけではなく、周囲の環境変化も考える必要があるということですよね。そのひとつが食べ物です。もちろんチョウとヒトは違う生き物ですから、放射能の影響を受けた植物を食べてヤマトシジミの調子が悪くなるからといって、ヒトも同じだとは言えません。ただ、そうしたフィールド効果という視点をもって考えてみることは重要だと思います。

平良:ヤマトシジミはある意味特殊で、成虫になって飛べるようになっても一生で最高20メートルくらいしか移動しません。幼虫であれば隣の葉っぱに移るくらいのレベルでしか動かず、そこに生えているカタバミしか食べません。その意味では、環境からの影響がわかりやすい。一方で、ヒトの場合はひとつの食材しか食べないということはないですし、食材の産地もバラバラ。ヤマトシジミのように影響が出るかわかりませんし、またその影響の評価も難しいところがあります。

ヤマトシジミの幼虫。幼虫期はカタバミしか食べない単食性。

しかし、フィールド効果のような視点への理解を広めていかなければ、次に進めないと思っています。どうしても線量との直接的な関係ばかりが重視される傾向にあるので、フィールド効果のような研究は「変なことをしている」という目で見られてしまいがちです。当初は批判も多く受けました。最近では「話をしてほしい」と呼ばれることも増えていて、個人的には以前よりも認められてきているように感じています。

Ko:大瀧先生が「福島で起こっていることは福島に問うべきである」といつもおっしゃっているのですが、放射線による影響を考えるときには、やはり生態系そのものを想像する必要があると思っています。ヤマトシジミの幼虫はカタバミを食べますし、成虫は花の蜜を吸います。周囲には、クモなどの捕食者もいるし、寄生するハチ、共生種のアリもいます。そうした生態系ネットワークまるごとが放射能汚染されたわけです。

たとえば事故直後にヤマトシジミの個体数が急激に減って、そのあとすぐに復活しています。ある一つの生物がある時期に生態系のなかで急激に減少したときに、それがどのような影響を与えているのかを証明するのは難しいことですが、「復活したなら何も影響はない」と考えるほうが不自然だと思っています。私たちはヤマトシジミしか研究していませんが、ほかのチームの調査で、ヤマトシジミ以外にも減った生物、反対に増えた生物がいることがわかっています。「フィールド効果」という切り口で、俯瞰的に環境レベルの影響を見る視点をもつことは大事ではないでしょうか。

遺伝的な多様性はどうなっているのか

abt:abtでの助成は2017年度で終わっていますが、その後の研究についても教えてください。

平良:ヤマトシジミについては、いままで研究室で積み重ねてきた知見がある一方で、われわれ以外に研究をしている人が少ないので、DNAや遺伝子といった分野の研究が弱い部分がありました。そこをまず解決するために、助成期間中からDNAや遺伝子、ゲノムなどの研究を続けてきました。いまは福島から離れた鹿児島のヤマトシジミをもとにDNA配列や遺伝子を検索できるデータベースをつくっていて、論文と一緒に公開するために準備しているところです。

ヤマトシジミの遺伝子の多様性についても、いろいろな方法で調べています。個体数や形態的な異常率だけでなく、事故後に遺伝的な多様性がどう変化してきたのかがわかってきています。そもそも「なぜ多様性が大切なのか」という話ですが、さまざまな特徴をもつ系統があることで、何か起きたときに全滅を免れる確率が上がります。つまり、多様性があるほうが集団として強いと言えます。しかし、たとえば今回の事故で放射線に強い系統だけが生き残ったとして、その系統がたまたま寒さに弱い系統だったとしたら、「寒い」というイベントが起きたときには全滅してしまう危険性がありますよね。ですから、事故による多様性の影響を調べることも大事です。

この2、3年はカタバミへの影響調査も続けていますし、事故当時のヤマトシジミの状態を知るために、3月11日前後の時期に福島から東北にかけて幼虫を探す調査も行ってきました。雪をかきわけて2ミリとか5ミリの幼虫を地面にはいつくばって探しました(笑)。それによって、初期被曝の影響のシミュレーションができるようなりました。3月11日時点ではまだ幼虫は小さく、食べ盛りになったときには放射性物質がカタバミに降り注いでいたはず。ですから、外部被曝も内部被曝も、一番幼虫が成長するセンシティブな時期に起きただろうということがわかってきました。

原発事故を経験した国の科学者が未来のためにできること

abt:約10年間にわたる研究を振り返って、みなさんの印象に特に残っていることはありますか?

大瀧:やっぱり野原さんのことが大きいですね。

平良:研究のことでいうと、私は福島でのヤマトシジミの採集に2年目から参加しているのですが、広野町での採集のことがすごく印象に残っています。5人で1日半かけて探したのですが、見つかったのは5匹くらいでした。ヤマトシジミはどこでも見つかるチョウなのですが、なかなか見つかりませんでした。

子どものころからチョウを採っていますが、あんなに採れなかったことは初めてです。「こんなふうになってしまうんだ……」と思いました。私たちがチョウをとっている横で、防護服を着た人たちが乗ったバスがピストン輸送で通っていったことも覚えています。今では同じ場所でも、ヤマトシジミをたくさん見つけることができます。

Ko:私の印象に残っているのは、2015年に西日本で再稼働した原発周辺のヤマトシジミの調査をしたことです。福島では原発事故後からヤマトシジミの調査を始めたので、事故前の状況はわかりませんでした。その反省を踏まえて行なわれた調査です。前年に東日本の調査をしていたので、これで全国のヤマトシジミのデータセットが完成したんです。

基準となる平常時のデータを整理しておくことは、環境指標生物として利用するためにも必須です。地震大国、そして原発事故経験国に暮らす科学者の姿勢として、「明日の災害に備える」ということでもある。実際には「行って採る」だけですけれども、意義の大きさを思うと未来に残せる仕事だったと思います。この調査をやることができて本当によかったです。

abt:現在の研究室での状況はいかがですか?

平良:今年は久しぶりに福島に行かない年になりました。いままでの10年というのは「何が起こっているのか」を調べることが中心でした。そこから「どうやって、それが起きたのか」ということの解明にシフトしているところです。実験室のなかでメカニズムを探っていく段階になり、ようやく全体像が見えてきています。

大瀧:いまの課題は後継者の問題ですね。この研究は学生のモチベーションと労力で成り立っているところがあるのですけれど、いまの学生にとって原発事故は小学生や中学生のときに起きたことなんです。「教科書に載っていた出来事」みたいになっていて、原発事故の問題に対してモチベーションをもつ学生が少なくなっていることを感じています。

平良:一緒に研究をしていた人たちも卒業し、いつの間にか大瀧先生の次に研究室に長くいるようになりました。わからないことがたくさん残ったまま終わらせるわけにはいかないし、野原さんに残された宿題のような気持ちで研究を続けています。野原さんやKoさんのように専門外の分野から研究室に入った人もいるので、「やりたい」という意思さえあれば、先生やみんなと一緒に考えながらやっていける研究室だと思います。この分野を研究してみたいという人が来てくれることを期待しています。