
公益社団法人アクト・ビヨンド・トラスト代表理事
星川 淳(作家・翻訳家)
《主に『ALONE――孤独のサバイバー』(ヒストリーチャンネル、2015~2018)とハンク・ウェスルマン著『スピリチュアル・ウォーカー――5000年後からのメッセージ』(早川書房、1996)を題材に》
今回は読書ノートの枠をはみ出してドキュメンタリー映像シリーズも取り上げ、また「非戦ノート」本来の主旨だった原爆とその被爆にまつわる問題からはかなり外れるが、筆者の中ではつながっている。
きっかけは、ある会合で若い世代の関心事について意見交換した際、筆者が「地球環境も人類社会も激変しているから、サバイバルには興味があるのでは?」と問いかけたのに対し、教職にあって20代の子どもも持つ参加者の一人が、「いや、めんどくさいことをするくらいなら生き延びなくていい若者が大半」と、意外な打ち返しをしてくれたことだった。内心、これには腰を抜かすほど驚いた。
息子の学齢期がはるか過去の思い出となり、身近に10~20代の知り合いが少ないせいもあるが、若者たちが生きることを放棄しているとは信じたくない。しかし、日本社会の各種惨状を見るにつけ、「大半」というのがどの程度なのかは別として、一つの民族が衰退するときはそうなるのかと頷(うなず)く自分もいる。これはおそらく、15~34歳の死因において自殺が1位(12.2%)なのはG7で日本だけという現状とも関連しそうだ(2022年の厚生労働省データ)。ちなみに、同じ年齢層では韓国も11.1%で自殺がトップとなっている。
正確なデータは見つからないが、中国の若年層自殺率も上昇中らしく、東アジア特有の人間形成期における閉塞感(とくに受験地獄)が関係しているのかもしれない。とはいえ、生きることへの淡泊さが全世界の若年層に広がっているとも思えず、日本社会の一面に「サバイバルに興味のない若者たちがいる」との認識を半信半疑で受けとめつつ、天災にしろ人災にしろ人類絶滅レベルの大惨事が起こったら、やがて日本列島は無人になる可能性を頭の片隅に置くようになった。
孤独のサバイバーたち
そんなとき、たまたま動画サブスクリプションサービスで米国ヒストリーチャンネル制作の『ALONE』(日本語字幕版副題は「孤独のサバイバー」)を見つけ、上記の出来事と関係なく、夫婦で全編を視聴した。妻はもともと自然や動植物と向き合うことを喜びとし、硬派な未到地探検や高地登山ものを含め、地球の生命世界を取り上げた動画やドキュメンタリーは常に探索していて、「これは!」というものは筆者にも視聴の誘いがかかる。ただし、この『ALONE』全編は半端ではなく、12シーズンがそれぞれ10エピソード以上あって(各1時間ほど)、合計138話だから、ずいぶん熱心に観たものだ(現在は全13シーズン、合計150エピソードに増えている)。

いわゆるリアリティ番組の一種で、各シーズン10人ほどの挑戦者が、米国やカナダの北方森林や北極圏、パタゴニア、モンゴル、アフリカの厳しい原生自然と独りきりで向かい合い(シーズン4だけペアでの挑戦)、各自が選んだ10種類のツールを頼りに、自力で採取する動植物を食べながら、どれだけ長く生き延びられるかを競う。命に関わるような緊急の体調不良を知らせる通信手段と、最後にギブアップする合図のピストル型照明弾が与えられるほか、万一に備えた定期的なドクターチェックが入るだけ。あとは正真正銘の独りぼっちで、飢え、恐怖(舞台はクマやオオカミといった捕食動物の高密度生息地ばかり)、不慮の怪我や体調不良、胸が潰れそうな寂しさなどと闘う。もちろん、最大のハードルは飢えだ(さらに、最終的なギブアップの決め手として家族の大切さを訴える参加者が多い)。
最後まで残った勝者を除く全員が脱落すれば終了だから、シーズンごとにサバイバル日数は20~50日程度と差があるが、賞金は50万ドル(1ドル150円換算で7500万円)、とりわけ自然環境が過酷なシーズン7のみ100日生存を条件に賞金100万ドル(同1億5000万円)が用意され、命がけで挑戦しようとする応募者を大量に引き寄せるらしい(シーズンごとに数千人とも1万人を超えるとも)。
この番組で印象的なのは、シーズンが進むにつれて男女を問わず挑戦者たちの質が高まり、サバイバルスキルを持つ人の層が厚いことを示す点だ。火起こしはもちろん、簡易シェルターの設営・建設(中には「山小屋」と呼べるほどの造営も)、弓矢や罠を使った狩りと獲物の解体、釣りその他の手段による水産物の採取、各種ベリーや薬草類の知識と活用など、田舎暮らしの長い筆者も舌を巻く猛者(もさ)がひしめき合う。それでも自然は厳しく、サバイバルスクールで教える経験者が意外とあっさり脱落したりするのが面白い。
こうしたサバイバル志向の広がりは、“新大陸”の開拓時代から途切れなく続く世代間継承に加え、もっと古い先住民の伝統にも支えられているように見える。狩りの獲物を仕留めた際、ほとんど例外なく先住民に倣(なら)った祈りを捧げるさまは、ただの真似事とは思えない。筆者は『ALONE』を通じて、「この人たちなら現代文明の崩壊を生き延びるかもしれないな」という感触を強めた。
“瞬間戦”とSF少年
サバイバルに関心がないという日本の若者と、サバイバルにガチで挑戦する人気リアリティ番組のギャップに、つい現代文明の崩壊をイメージしてしまうのは、筆者の生い立ちからくる悪い癖だろう。そこには主に2つの要素が絡んでいる。
1つは、米ソ冷戦ピークに思春期を送ったこと。広島と長崎に原爆を投下した米国に続いてソ連、イギリス、中国、フランスと核保有国が増える中(非公式にイスラエルも)、とりわけ米国とソ連は互いに何万発もの核ミサイルを臨戦態勢に置き、1962年のキューバ危機に表われたとおり、いつ第三次世界大戦=全面核戦争が始まってもおかしくなかった。小学3年から都内で育った多感な星川少年は、頭上をジェット機の轟音が通過するたびに、「これはソ連の核ミサイルで、次の瞬間、ぼくは溶けて死ぬんだ」と観念していた。笑われるかもしれないが、当時は日々、真剣にそう覚悟したのだ。
このような “瞬間戦”の恐怖を味わい続けたせいか、知らず知らずのうちに「こんな世界はおかしい」「もっと平和でまともな世界で生きたい!」という希求が強まって、いまに至る。のちに、現代の物質文明とは異なる社会/世界を創ろうとする“対抗文化(カウンターカルチャー)”に身を投ずる伏線となった一方、内心、人類が21世紀を迎えることはないだろうと、ほとんど確信していた。
もう1つの伏線は、転校した小学3年の夏休みに、まだ友だちも少なかろうと母親が買ってくれた本邦初の子ども向け世界文学全集で読書にめざめ、そのまま純文学には向かわずに、高校いっぱいぐらいまでSF漬けになったこと。しかも、1つめの伏線が影響したのか、好んだテーマが人類の行方や文明の滅亡だった。1)アーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』(創元SF文庫ほか)、2)ネヴィル・シュートの『渚にて』(創元SF文庫ほか)、3)国内作家では小松左京の『継ぐのは誰か?』(角川文庫ほか)など。1)自分たちよりはるかに高度な異星人の善導のもと、屈折しつつも彼らを超える道を模索したり、2)全面核戦争による北半球からの放射能影響が忍び寄るオーストラリア南岸で、世界の終末を安楽死や殉死で迎えたり、3)アマゾン奥地に隠れ住むホモサピエンス異種との軋轢に悩んだりと、複雑な物語に自分を重ねた。
こうしたSF的感性はその後、アニメなどを通じて世間一般に広まり、いまどき珍しくないだろうが、1960年代に思春期を送った筆者には、はるかな未来から地球文明を振り返ったり、人類史を別な文脈に置き換えてみたりする一種の“超客観性”が育まれた。ちなみに、冷戦とSFという2つの影響は、国を問わずそれらに接した世代に幅広く浸透して、1980年代の世界的な反核運動や、前述した対抗文化の勃興を後押ししたというのが筆者の仮説だ。
5000年後の世界
ここまでを前置きとして、『ALONE』と並び冒頭に掲げたハンク・ウェスルマン著『スピリチュアル・ウォーカー』(早川書房)を取り上げたい。邦訳初版はちょうど30年前の本だし、邦題もなんだか安っぽくて(原題SPIRITWALKERに対してこの邦題は、おそらく訳者も違和感があったのではないかと思ったら、今回、2014年に別の版元から同じ訳者による新版が出ていて、邦題も『スピリットウォーカー』に修正済みなのを発見!)、本稿読者のうちご存じの人はごく少数のはず。筆者(星川)は原書か邦訳初版を早い時期に読み、詳細は記憶にないものの、著者とも直接やりとりしている。サバイバルに関心のない若者の話題でモヤモヤしたあと、『ALONE』を視聴しながら、久しぶりにこの著作を思い出して再読した。

内容はノンフィクションに似合わず荒唐無稽だ。生真面目で、科学的合理性を信奉する第一線の人類学者が、1980年代から始まった自然発生的な変性意識状態の中で、5000年ほど未来に生きるナイノアという青年の経験を断片的に共有するようになる。「共有」という表現が適切かわからないが、しばしその人物に乗り移ったかのごとく、五感と心のすべてで5000年後の人生を実体験するのである。著者ウェスルマンが垣間見たナイノアの世界は以下のとおり。
気候変動の激化と思われる原因で「アメリカ文明」は終わり、世界各地にかろうじて生き延びた人類の小集団が点在したらしい。その一つがハワイ諸島で、農耕と漁労をベースに、古来のポリネシア文化に近い階層社会を復活させた。鉄をはじめとする金属は採掘・精錬の技術を失い、亡びた文明の遺物を再利用するのみ。神官を含む知識層による古文書の解読から、かつての栄華がおぼろげながらに推測され、東方に「アメリカ」の大陸があることは見当がついていた。
復活を遂げたハワイ社会の安定につれて、伝説のアメリカ大陸へ、大型の双胴外洋カヌー船団による探検隊が繰り返し送り出されるも、失敗が続いた末、ナイノアの時代から130年ほど前、ついに108隻の大船団がカリフォルニアとおぼしき場所へ到達した。以後、ハワイ人入植地が徐々に広がるが、険しい山塊に阻まれて内陸の様子はわからない。そんな中、平民の生まれながら書記官として才覚を表わしつつあったナイノアに、首長階級の地域リーダーから内陸探査の大命が下る。「アメリカ文明」の末路を確かめる任務に加え、双胴カヌーでもハワイから運べなかった馬を見つけて、その群れを連れ帰ることが最終目的だった。
結論を急げば、ナイノアは1年以上かけてみごとに任務を遂行し、カリフォルニア入植地のハワイ人社会から英雄扱いされる。熱帯化した内陸には、アメリカ文明時代の動物園や個人の飼育環境から逃げ出して野生化した象やライオンなども含む多様な動物相が生息するほか(当然、植物相もそれに準ずる)、人間ではイヌイットの末裔らしき「エヌー人」が狩猟採集生活を送っていた。ナイノアは1年近くエヌー人のあいだで暮らし、狩りの達人であるとともに一族のシャーマンでもあるリーダーと親交を結びながら、その娘との熱愛を経験するのだった。
2人のナイノア
同書には、このような変種のチャネリング体験が起こる理由やメカニズムへの推察、ハワイ人とエヌー人それぞれの精神世界、とりわけシャーマニズムに関する考察(現代と5000年後の両方にまたがる)、それらと著者の日常生活との絡み合いなどが、人類学者らしい几帳面さで記述されているが、本稿では立ち入らない。1点だけ補足すると、筆者(星川)自身も抱きがちな「できすぎた物語で、著者の創作だろう」という疑念は、次のような事例にもとづいて保留したい。
生真面目さの一端として、著者はわが身に起こる理解し難い現象の手がかりを求め、各種のワークショップやセミナーに参加する。座禅などと並ぶ経験の中に、同じ人類学者で、現代におけるシャーマニズムの研究と実践の第一人者マイケル・ハーナーが主宰する「コア・シャーマニズム」のワークショップがあった(一部はハーナーの後継者の一人とされるサンドラ・インガーマンが指導)。「コア」とは、世界各地の部族社会に残るシャーマニスティックな伝統から、個別の習俗や文化的背景をできる限り取り除いた核心部分を指し、ハーナーやインガーマンはそれを現代世界に広めた。本書の著者ウェスルマンは彼らの元で自らの超常体験を整理したり、さらなる探究の見通しをつけたりしつつ、その経緯を率直に綴っている。一方のハーナーやインガーマンも、未来の人物に移入するウェスルマンの体験を真正なものと認め、本書の続編などに推薦の言葉を寄せた。こうした関係性が、作り話の上に築かれるとは思えない。
もう1つの特記事項として、ハワイ文化などに詳しい人ならご存じのナイノア・トンプソンに触れておく。1960~70年代に世界各地で先住民文化の復興と復権のうねりが起こったが、ハワイでは19世紀末の米国への併合(クーデターによる王制撤廃など)に対する根強い反感を背景に、言語や文化の復活の一環として、広くポリネシアに伝わる大型双胴カヌーの復元と、それを使ったハワイ・タヒチ間の無計器航海が試みられた。しかし、ハワイでは伝統航海術の伝承が途切れており、星や波など自然現象のみに頼った渡海の技が伝わるミクロネシアからベテラン航海師マウ・ピアイルグを招いて、初の復元カヌー「ホクレア」による1976年のハワイ→タヒチ初航海を成功させた。ハワイへの復路(マウが去ったため通常の計器航海)に乗り組んだ先住ハワイ系のナイノア・トンプソンは、その後マウに師事して学びを深めた末、1980年、自ら航海師を務めてハワイ・タヒチ間の往復航海を成し遂げる。それらの取り組みを牽引したポリネシア航海協会とともに、ナイノア・トンプソンはハワイ先住民文化の再生と、海を中心とする地球生態系保全のシンボルとなった。

ナイノア・トンプソンと篠遠喜彦博士(1924~2017)。背景は、船体がグラスファイバーのホクレア号に対し、木造としては初となる復元双胴カヌー「ハワイロア」(撮影・星川)。1950年代からハワイのビショップ博物館に所属してポリネシア考古学の進展に貢献した篠遠博士は、釣り針の編年を明らかにしてポリネシア人の移住拡散を後づけ、大型双胴カヌーによる実証考古学的な復元航海の理論的バックボーンを提供した。筆者(星川)夫婦は、同じく篠遠博士がタヒチのフアヒネ島で尽力していたマラエ(祭祀遺跡)の復元現場にも同行したことがある。また、ナイノアは1990年代後半、初来日の際に屋久島のわが家まで足を伸ばしてくれた。
つまり、ウェスルマンが描く5000年後のハワイ人社会では、ナイノア・トンプソンの偉業が記憶され、遠路の集団移動に耐える大型双胴カヌーの建造技術と伝統航海術も継承されて、北米大陸の“再発見”を可能としたことになる。そこで活躍する主人公の名前は、この古代の英雄にあやかったものだろう。ちなみに、一時期ハワイ島で暮らしたウェスルマンは、ナイノア・トンプソンにも出会っている。トンプソンが本書を読んでいるかどうか知らないが、人一倍謙虚で控えめな彼の性格からして、5000年後までヒーローとして言い伝えられることなど一笑に付すにちがいない。彼やマウの取材を重ねて『星の航海師――ナイノア・トンプソンの肖像』(幻冬舎、1997年)を書き下ろした筆者には、その苦笑いが目に浮かぶ。

いのちのバトンをつなぐ
とはいえ、1)サバイバルに興味のない日本の若者、2)人気サバイバル番組、3)現代文明崩壊後の未来像――この3つを並べることで、何か短絡的な結論を導き出したいわけではない。未来は無数のパラレルな可能性の中から刻一刻と織りなされるものであって、どれか一つに確定済みではなかろう。ウェスルマン自身は、1990年代半ばまでの科学的データから、現代文明の崩壊原因を気候変動の激化と推察しているが、10代の星川少年が“瞬間戦”を潜(くぐ)り抜けた核戦争の危険も、また最近では超AIの暴走により人類を含む全生命世界が消費尽くされるリスクも、いまあるような世界を壊滅させうる。また当然、私たちが賢明な選択を重ね、地球生態系の不可逆的劣化と人類文明の滅亡とを回避する道も残されているにちがいない。
ただし、気候変動を例に取れば、ウェスルマンが本書を書いた1990年代より現在のほうが、後戻りのきかない悪循環(多重的な正フィードバックループ)に踏み込みつつある確度が高い。すでに温暖化の防止策だけでなく、グテーレス国連事務総長いわく「地球沸騰化」への適応策にも全力投球せざるをえなくなった。北極圏の氷が消え、夏の気温がふつうに40~50℃を超え、海面が数メートルから数十メートル上昇し、大気循環の持てあます水が暴れ狂って洪水や旱魃(どこかに水が偏れば、逆の偏りも起こる)が頻発し、都市機能と国際通商網が麻痺するばかりか、従来の農業や漁業が成り立たなくなる世界だ。
そんなとき、なるべく身近なコミュニティに食やエネルギーなど生存の基盤を置く暮らしは、選択肢というより不可欠ではないか。現代文明が立ち行かなくなるほどの異変に際し(そのプロセスが段階的であれ突発的であれ)、無用な混乱と悲惨な衝突を最小限に抑えて、人類文化の核心部分を守るためにも、世界各地で多くの人が、目に見える循環の中で生きること、それに近づくことは本物のセーフティネットとして理にかなう。これまで「サバイバル」というと自分(たち)だけが生き残ろうとする排他的なニュアンスが強かったのに対し、このようなコミュニティベースの自立・自律努力は、世界的危機が到来しなくても有意義で、おまけに充実感が大きい。とりあえず、人口の過剰な都市集中から地方分散へ、一人ずつでも静かな“備え”を広げていきたい。結局、対抗文化とは、こうした文明相の転換をシミュレーションするDIY(自家工作)にほかならなかった。
もちろん、「人類なんて生き延びなくていい」「世界は亡びるのが定め」と達観するのも自由。本稿はサバイバルに興味のない若者を非難するものではない。しかし筆者自身は、「生きよ!」と魂を突き動かす生命の根源的駆動力を感受し、それを尊重する(自分の寿命を延ばしたいという欲求とは微妙に異なる)。
たしかに、生きることは「めんどくさい」。農・漁・猟の生業(なりわい)にしろ、食材を調達・調理して食卓に載せるにしろ、刃物を研ぐにしろ、木を刻んで道具や家を作るにしろ、土を練って器を焼くにしろ、相応の手間がかかるし、熟練も要する。だが、それらはみな愛の営みであり、時を超えて過去・現在・未来を通貫する。あるいは、そこには時がないと言ったほうがいいかもしれない。
筆者(星川)は、SF界の大御所アーシュラ・ル=グィンの知られざる名作『オールウェイズ・カミングホーム』(平凡社、1997年)も訳している。この作品は、いまから2万年ほど未来とされるカリフォルニア丘陵地に生きる少女の成長譚で、やはり“太古”の物質文明が滅びて久しく、人びとは先住民的なつつましい暮らしを送る。同じカリフォルニアを舞台にウェスルマンの描き出すハワイ人入植地と、かなりの時間差はあるものの、2つの時代を貫く人間の営みはあまり変わらない(いや、現代と、これまでの人類史全体もカウントすれば4つの時代か)。人は日々をひたむきに生き、いのちのバトンを次世代に渡そうとするのだ。
そして「非戦」とは、そのバトンをつなぐ道筋の探索であり、細くても確かな枝道に分け入ろうとする冒険であり、前述のとおり大小を問わずコミュニティ(人の輪)で未来をたぐり寄せる営為でもある。
【補足情報】
- 『ALONE 〜孤独のサバイバー〜』(参考に全編掲載のAmazon Primeサイトから)
- ハンク・ウェスルマン(1941~2021)(英語)
邦訳『スピリチュアル・ウォーカー』の続編として『MEDICINEMAKER』(未訳)、『VISIONSEEKER』(未訳)の既刊に加え、遺稿を編集したシリーズ完結編というべき『TIMEWEAVER』(未訳)がある。第4作のみ、ウェスルマンに代わって5000年後のナイノアが語り手。
邦訳書に『シャーマンの道』(平川出版社、1989年)がある。
- ポリネシア航海協会(英語)
現在、ナイノア・トンプソンが会長を務める同協会は、ホクレアと僚船ヒキアナリアの2隻で2回目の太平洋周航中。強いエルニーニョの影響により、ニュージーランド以北の計画が流動的だが、2027年には日本列島各地に寄港予定となっている。1980年代以降、日本から伝統航海術を学びに行き、彼らの活動を支える人たちも出てきた。
- トランジションタウン(Transition Japanの日本語サイト)
本稿と直結するものではないが、文末で強調した身近なコミュニティに根差す“備え”について、2000年代半ばの英国南部から始まり世界各地に広がった「トランジションタウン」という取り組みを一例に挙げたい。この運動は文字どおり「トランジション」(持続可能でない現状から地球生態系と共生できる社会への“移行”)を掲げ、地域ごとに様々な試みの触媒となっている。半農半Xやパーマカルチャーなどと並んで、中国の人びとまで関心を示しているところも示唆に富む。





